回復期①

それから少しずつつながれている管の本数が減っていった義父。

胸には開胸で出来た大きな傷跡があります。

先生からはろっ骨を折った状態なのでコルセットのようなものを装着していますとのこと。

また手術のせいか色々なところに水だか血がたまってしまうのでそれも機械繋げて対外へ出すようにしていました。

 

数日して今日はあそこの椅子まで立って歩いたんだ。とリハビリもほんの少しずつ始め、一週間程でCCUから個室に出ることができました。

しかしそれからも大変な日々は続きました。

CCUでは管理の基準上一人または二人の患者につき一人の看護師さんがついてくれていました。

個室ではそうはいきません。

日中お見舞いまでは父は一人で過ごすことになり、せん妄が現れました。  

せん妄とは入院生活等の治療で一時的に認知が下がったり、易怒的(怒りやすくなる)等の症状がでることをいいます。

救急車で運ばれるまではすべて自立で生活ができていた義父。

わたしも仕事の関係でせん妄のことは知っていましたが、本当にいきなり色々分からなくなってしまうんだな。と驚きました。

具体的には拉致されていて、家族もみんなグルなんだ。

看護師さんも誰だかわからなくなりわからず連れていかれそうになった。すぐに帰らないといけない。と言いベットから立ち上がろうとする等々

 

更に義父は救急車で運ばれた後CCUから個室に出た際に必ず看護師さんを呼んでトイレに行って下さいというのを忘れてしまったのかベット柵を乗り越えて転倒していたというエピソードがあり、その後身体抑制というベルトを付けられてしまいました。

今回もCCUから個室に出るタイミングはすごく不安で、その後のせん妄だったので更に状況が悪くなってしったという思いが家族にはありました。

 

ここは人間の尊厳にもかかわると思いますがトイレに一人で行きたいってみんな思いますよね。

ナースコール遠慮なく押してくださいって言われても押すのをためらう気持ちは本当によくわかります。

義父の歳だと余計なのかもしれませんが、この時期本当に辛かったと思います。

ただ、義父本人は回復し半年以上たった現在はこの当時の事はほとんど覚えていないそうです。

 

そのためか義父は面会時間以外に困った事があると携帯電話(個室はOKだったそう)で義母に電話をかけてきて、それを義母が病院に電話するという謎の回線ができ上っていました。

 

更に入院前・手術前も結構量を食べていた義父がぴたりとご飯を食べなくなってしまいました。

 

急性期の病院では一人一人の患者さんにつきっきりで食事の介助をすることは結構難しいように思います。

そのためほっておくと義父はほとんど食事をしないまま下げられてしまう。

私たち家族は交代でなるべく朝・昼・夜の義父の食事時間に食事の介助をすることに決めました。